2018年06月23日

PK

「PK」                      伊坂 幸太郎
★★★★★



短編よりは少し長めの小説が3つ収録された中編集である。

・PK 主人公は○○、と言いたいのだが、なぜかこの小説の登場人物は個人名で呼ばれない。サッカー選手の「小津」と「宇野」を除いては。小津は、勝てばワールドカップ出場が決まる試合で試合の勝敗を決定するPKを蹴る。その直前に小津に話しかけたのが宇野である。宇野が何を言ったのかについて、様々な憶測がなされている。この場面が話のメインなのかと思うのだが、それだけではない。

名前の出てこない登場人物の作家が、印象に残ることを言うのだ。世の中は大きな力が物事を動かしており、個人の決断はあまり影響しない。ならば、その作家の子供に自慢できるほうを選べばいいと。もっと一般的な言い方をすれば、自分の好きな道を選べばいいとも読める。さて、果たして小津はPKを決めることができるのか?スラスラ読めるが、考えさせる言葉も含まれている作品である。

・超人 小説家の三島とその友人の田中のもとに、本田という特殊能力を持った(と本人は信じている)青年が現れる。本田は警備システムの営業で来たのだが、相手が小説家の三島だと知ると、相談に乗ってほしいと言う。話を聞くと、とても事実とは思えないことだ。さて、彼の特殊能力は事実か、単なる妄想か。

そして、この物語は「PK」とつながっている。同じ登場人物が出てきたり、前作のエピソードが明らかになったりするのだ。「PK」のいろいろな話が絡み合い、発展していく。

・密使 特殊能力を持った大学生の「僕」と、パラレルワールドの説明を受ける「私」の話が交互に描かれていく。「私」の話では、より良い結果を出すためにあるものを使って少しずつ変化を起こし、望む結果を得ようというのだ。

「僕」の話では「僕」が特殊能力を使えば世界を救える、という話になる。そして、「私」と「僕」の別々の話がつながり、ある結末を迎える。

3作品とも、著者らしさが十分出ており、伊坂ワールドを満喫できる中編集になっている。
ラベル:伊坂幸太郎 小説
posted by 三毛ネコ at 09:45| Comment(0) | エンターテインメント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月15日

Number 7/19

「Number 7/19」
★★★



いよいよサッカーW杯が始まる。

巻頭インタビューは西野朗監督。5月30日のガーナ戦で3バックを試したのは、W杯本番で予想される様々な状況に対応するためだという。1つのシステムだけでは難しいので、選手たちに3バックの感覚を持ってもらいたかったのだ。

また、「日本化されたサッカー」をやろうとしているようだ。コレクティブにボールを動かしながら、相手の守備を突破し、一人ひとりの特徴を生かしてほしいと言っている。

西野は、戦術に選手を合わせるのではなく、選手の特徴に応じてチームを作っていく。Jリーグの監督時代からそれは変わっておらず、また選手には攻撃的マインドを持たせるという。攻撃的なサッカーを好む監督ではあるが、まずチームに求めるのは、意外にも守備の意識である。それも、前でボールを奪うことで攻撃的なサッカーを体現しようとしている。

コロンビア(FIFAランキング16位)、セネガル(FIFAランキング27位)、ポーランド(FIFAランキング8位)。日本は61位だ。FIFAランキングを見ても分かるとおり、どのチームも日本より格上だ。そして、今号のそれぞれの国の記事を読むと、どのチームも手強い。

しかし、「日本がサプライズを起こせる可能性は大いにある」と言う人物がいる。あの元日本代表監督のオシムである。万全の準備をすれば、日本もサプライズを起こせるというのだ。現状では、オシムの言葉を信じ、日本代表が100%、いや120%の力を出し切れることを祈るのみである。
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2018年06月10日

アウンサンスーチー・ストーリー

「アウンサンスーチー・ストーリー」           タイラー・バーデン
★★★★★



アウンサン・スーチーの母は政府で働いていて、とても厳格な人だった。例えば、紅茶とビスケットがおやつに出た時、他の子供はビズケットを紅茶に漬けて食べたが、スーチーにはそれが許されなかった。食事中、常に姿勢を正しているようにもしつけられた。

スーチーは勉強がよくできた。特に、語学が得意だったという。頑固で、善悪に対してこだわりがあったらしい。

趣味は読書。小さい時の夢は父のように将軍になることだった。しかし、そのころは女性は軍隊には入れなかったので、彼女の夢は「作家になること」に変わった。

そのうち、母がインド大使に任命され、一家はインドに移住する。そこでスーチーはインドのトップ大学の一つに入学し、政治学を学ぶ。そこから、オックスフォード大学に入り、哲学と経済を学んだ。オックスフォード時代に、その後夫になるマイケルと出会い、1日で恋に落ちた。

その後、スーチーはニューヨークの国連で仕事をするようになる。仕事は退屈だったが、組織とはどのようなものか知ることができた。

それから、マイケルと結婚し、研究のために来日したり、ロンドン大の大学院生になったりもする。その時、母が危篤になってミャンマーに戻り、国民民主連盟(NLD)を結成し、政治的活動を始めるのだ。

死をも恐れず、ミャンマーの民主化へと行動し続ける彼女の姿勢には感銘を受けた。やはり、信念や信仰を持っている人は強い。そんなことを実感させられた。
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2018年06月02日

ジョン万次郎 海を渡ったサムライ魂

「ジョン万次郎 海を渡ったサムライ魂」       マーギー・プロイス
★★★★



伝記だと思って借りたのだが、内容は実話を元にした小説だった。

1841年1月。万次郎の乗った船は難破し、万次郎たちは無人島に避難した。最初のうちは食べ物が手に入ったが、だんだんそれも難しくなった。食糧も水もなく、自分の小便まで飲む日々。

そんなある日、異国の船が通りかかり、万次郎たちは救われる。初めて見る異国人。意味の分からない言葉。初めて見るパン、着たこともない洋服。すべてが万次郎にとって新しい体験だったが、特に彼が関心を持ったのが言葉だった。

船にいるうちにおぼろげながら彼らの言葉が分かるようになった万次郎は、その船の仕事(捕鯨)を手伝わされ、「ジョン・マン」と呼ばれるようになる。6か月ほどその船に乗っていて、万次郎はアメリカ人と意思の疎通ができるようになり、アメリカについていろいろなことを聞く。

そして、その船の船長だったホイットフィールドの息子としてアメリカに行くか、日本の自分の家に戻るかの決断を迫られる。熟慮の末、万次郎はアメリカに行くことを決める。

それから2年以上の間、万次郎はその船に乗って鯨油取りを手伝い、アメリカにたどり着く。

そして、アメリカの学校で勉強をするようになる。嫌なこともあったが、万次郎は優秀で、いろいろな経験をして成長していく。その後も、万次郎の人生がドラマチックに描かれる。

ジョン万次郎といえば、アメリカに連れて行かれ、その後日本に戻って通訳として活躍したぐらいしか知らなかったが、この本ではその人生を詳しく知ることができる。児童文学ではあるが、大人でも楽しめる物語に仕上がっている。
posted by 三毛ネコ at 09:20| Comment(0) | 児童文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月26日

本田宗一郎物語

「本田宗一郎物語」                    西海コエン
★★★★★



本田宗一郎。言わずと知れた、世界の「ホンダ」の創業者だ。

父親は鍛冶屋をしていた。宗一郎は子供のころから機械が好きだった。父の仕事にも興味があり、少し大きくなるとその仕事を手伝うようになった。

浜松に住んでいた宗一郎は、そこでオートバイを作るのが夢だった。それは、藤澤武夫と出会って実現することになる。後に宗一郎と共に「ホンダ」を世界的企業に育て上げる藤澤は、宗一郎の才能に魅せられ、共にベンチャー企業を立ち上げる。藤澤は会社の財政面を引き受けた。

宗一郎は、かなり激しい気性の持ち主だったようだ。また、子供時代から機械油の臭いが好きだったという。こんなところからも後の仕事につながる素質を持っていたことがうかがえる。

16歳で小学校を卒業すると、東京の自動車の修理会社(アート商会)に就職する。初めは子守りや家の掃除しか任されなかったが、徐々に車の修理も任されるようになる。

その頃に、東京は関東大震災に襲われる。しかし、宗一郎は地震や火災で使えなくなった車を修理して売る。同じ時期に、頼まれて消防車のエンジンを見事に修理してみせる。すると、周りの態度が一変し、「本田教授」と呼ばれるようになる。

22歳になると、アート商会の社長に「もう教えることはない」と言われる。この時が、宗一郎の起業家としてのスタートだった。

宗一郎は人真似が大嫌いだった。オリジナルにこだわっていたのだ。気難しい性格だったが、社長として威張ることはなく、社員と一緒になって働いた。

25歳の時には自動車で特許を取り、金が入ってくる。しかしもちろん、宗一郎はそんなことでは満足せず、もっと上を目指して走り続ける。

そして宗一郎はチャレンジを続け、世界に通用する自動車メーカー、ホンダを作り上げていく。「アメリカン・ドリーム」というのはよく聞くが、宗一郎は日本では少ない「ジャパニーズ・ドリーム」を体現したのだ。その努力とチャレンジ精神には感心せずにいられなかった。
posted by 三毛ネコ at 11:56| Comment(0) | ラダーシリーズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする