2019年09月15日

楽天の創業者、三木谷浩史さんの半生を綴った伝記です。

「問題児 三木谷浩史の育ち方」            山川 健一
★★★★★



楽天の三木谷浩史といえば、絵に描いたようなエリートコースを歩んだ人で、「問題児」というタイトルは当たらないのではないかと思った。しかし、そうではなかったのだ。

中学でタバコを吸い、競馬やパチンコをし、親の財布から金を盗んでいた。高校2年まで、通信簿は5段階で2と3ばかりだった。そんな浩史が道を踏み外さなかったのは、両親の愛情のおかげだった。

浩史の父は神戸大学の経済学部を卒業し、神戸大経済学部の教授を務めた経済学者だった。ハーバード大学の大学院にも留学している。

そんな父親のもとで伸び伸びと育った浩史。兄は東大農学部を出て研究者になり、姉は徳島大医学部を卒業して医者になっている。浩史は兄弟の中の落ちこぼれだった。しかし、親の見方は違っていた。成績は悪いけれども、自分の頭で物事を考える子だと思っていたのである。

勉強は、本人が自分の意志で取り組まなければどうにもならない、と著者は言う。私も、自分の経験からそう思う。逆に、自分の意志でする勉強は面白いし、はかどるものである。

さて、浩史は小学校2年の時に父の都合でアメリカに行き、パブリックスクールに入る。そこでも成績はCばかり。その後、日本に戻って全寮制の中学に入るが、なじめずに退学。地元の中学校に通う。麻雀やパチンコの日々だったが、最後の最後では頑張りを見せ、中学受験や高校受験では結果を出した。

両親が温かく見守っていてくれたおかげで本当の「ワル」になることはなかった。

そして高校2年から、大学を目指して勉強を始める。目標としたのは、一橋大学である。しかし、高校での成績は350人中320番だった。一橋どころか、入れる大学がないような状態である。しかし、決意を固めた浩史は猛勉強を始め、高3では共通一次で1000点満点中800点を超えるレベルになったのだ。一浪して一橋大に合格するのだが、最終的には高校で10番以内に入るレベルになっていた。

両親もきょうだいもみんな優秀ということを考えれば、頭は良かったのだがやらなかった、ということなのだろう。

卒業後、興銀に入り、ハーバード大学でMBAを取ってから楽天を創業し、今に至るわけだ。アメリカに留学したことで、人生観にも変化があったようだ。それでも、興銀を辞めるには、 浩史にとっても相当な覚悟が要ったようだ。しかも、選んだのが当時は海の物とも山の物ともつかないインターネット・ビジネス。浩史には、先見性も、勇気もあった。

彼の生い立ち、その後の経緯を辿ってみて、なぜあれだけの成功を収められたのかがおぼろげに分かった気がする。面白く、有益な伝記であった。
posted by 三毛ネコ at 15:36| Comment(0) | 伝記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月18日

強烈なオヤジが高校も塾も通わせずに3人の息子を京都大学に放り込んだ話

「強烈なオヤジが高校も塾も通わせずに3人の息子を京都大学に放り込んだ話」   宝槻泰伸
★★★★



マンガ「火の鳥」を全巻読むために学校を休んでもいい。TVゲームの「信長の野望」をクリアするために学校をサボれる。そんな家庭である。父親がかなり変わっている。高校生になると、「学校にも塾にも通わずに自力で京大に行け」という教育方針になる。

宝槻家3兄弟は、小学生のころから、勉強になりそうなマンガやNHKの番組などを見せられてきた。マンガや本については、1ページ1円の小遣いを与えて読ませる。読んだ本やマンガについては、感想文を書かせる。最初は金目当てで読んでいた3兄弟だが、次第に自分の意志で読むようになる。

しかし、他の子どもたちと同様、TVゲームやバラエティ番組に夢中になる3兄弟。そこでオヤジが考えた手とは……頭脳ギャンブル。将棋や囲碁、麻雀。頭を鍛えるために(金を賭けて)こんなゲームをさせ、時にはイカサマをしながら、子どもに金を払わせる代わりにマンガや本を読ませたのだ。

そして、もともと東京に住んでいた3兄弟は、オヤジの気まぐれで宮崎県に引っ越すことになる。そこで、兄弟は与えられた遊びではなく、自分たちで遊びを作り出すという経験をする。その経験を通して、発見力や想像力を鍛えていくことになるのだ。

オヤジの手助けも絶妙で、タミヤの工作キットを買ってきて与える。それで3兄弟はだんだんモノを動かす仕組みを理解し、相撲ロボットを作って競えるほどになる。

そんな経験をしながら、3兄弟は成長していく。しかし、長男が進学した高校が進学校で、長男は高校を辞めたいとオヤジに言う。答えは「いいよ」と一言。次男もその影響で、高校には行かなかった。長男が高校3年生になると、京都大学を目指すことになる。なぜ京大かというと、東大よりノーベル賞受賞者が多いから。これもオヤジの言葉である。宝槻家では、オヤジの影響力は絶大である。しかし、1年間ほとんど勉強しなかった長男の学力は低い。そしてオヤジは……プラトン学園という塾を開校して長男(と3兄弟の友人)を指導。

各教科の指導法も書いてあるのだが、英語の勉強法などは、「確かにいいけど、これだけでできるようになるかな…」と疑問に感じた。私自身の体験から、構文や文法も学ぶ必要があると思うのだ。それでも、3兄弟はみんな京大に合格したので、オヤジの指導は正しかった、ということだろう。オヤジの家庭教育のおかげで3兄弟の地頭が鍛えられていたことも京大に入れた理由だろう。

それにしても、個性的なオヤジさんである。普通の親には真似できないし、また真似をするべきでもないと思う。

それでも、色々な子育てのヒントが詰まった本ではある。子育てをしている人には、参考になる面が多々あるだろう。なかなか興味深い本だった。
ラベル:教育
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2018年01月02日

宇宙飛行の父 ツィオルコフスキー: 人類が宇宙へ行くまで

「宇宙飛行の父 ツィオルコフスキー: 人類が宇宙へ行くまで」   的川 泰宣
★★★★★



1857年、ツィオルコフスキーはロシアで生まれた。この人のことは全く知らなかったのだが、ロシアでは石像が建てられるほど有名で、「宇宙飛行の父」と呼ばれているらしい。

4歳で字を書いたという。頭が良く、好奇心の強い子供だったようだ。家は貧しく、両親も厳しかったが、ツィオルコフスキーはわりと楽しい少年時代を過ごした。

しかし、いいことばかりは続かない。10歳の時、猩紅熱にかかり、そのせいで耳がほとんど聞こえなくなってしまう。それでも、本を読むのが好きで、たくさんの本を読んだようだ。

小学校もまともに行っていなかったが、14歳で算術をきちんと知った時、「これなら自分でもできる」と思ったという。父が持っていた数学や自然科学の本をたくさん読んだ。独学だが、かなり理解できたのだ。

10歳で親元を離れ、モスクワに行く。モスクワの図書館に通い、科学所を読みあさった。司書の勧めで、数学や物理学を基礎からやり直した。もちろん独学である。しかも、彼は頭でっかちの秀才ではなかった。何かを学ぶと、必ずその知識を利用した。例えば、天体望遠鏡の反射鏡を自作したりしたのだ。その旺盛な知識欲と行動力には感嘆せざるを得ない。

その後、家庭教師を経て、中学校の数学教師の仕事に就く。

この人のすごいのは、数学教師をしながら、すべて独学で宇宙船のアイデアを作り上げたり(実験でちゃんとその理論が正しいことを証明した)、金属製の有人宇宙船を設計(これも実験済み)したりしたことである。

そしてツィオルコフスキーの仕事は認められていき、「宇宙飛行の父」と呼ばれるようになるわけである。一読すると、その偉大さに舌を巻くばかりである。私も今、仕事の関係で数学を独学しているので、独学で数々の業績を残したツィオルコフスキーの人生には勇気づけられた。

ツィオルコフスキーが後年残した言葉をもってこのレビューを終えたい。「この世はうまくできている。学校に通わなくても、先生に教わらなくても、読書さえできれば子供は成長できる」。
ラベル:科学
posted by 三毛ネコ at 11:49| Comment(0) | 伝記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月10日

錦織圭物語

「錦織圭物語」                          松丸さとみ
★★★★



日本のスターテニス選手、錦織圭の伝記である。

彼は島根県の松江で生まれた。テニスを始めたのは5歳の時。すぐに夢中になった。錦織の才能に気づいた両親は、地元のテニススクールに通わせる。そのスクールのコーチは、錦織は1000人に1人の逸材だったと言う。錦織は子供のころから世界ランク1位になることを目指していたらしい。そして、世界で戦うには英語が必要なので、小学1年生のときから英語塾に通い始めた。

11歳の時、あの松岡修造が主宰する「修造チャレンジ」に参加する。そこで高校生を破って注目される。松岡は、錦織が成功すると確信していたので、あえて厳しく接した。

その後、中学1年生でアメリカのIMGアカデミーに入る。あのアガシやシャラポワといったトップ選手を輩出したアカデミーである。その時のコーチは錦織を、「フォアハンドには威力があるが、ボレーが弱く、サービスの技術は初心者」と評した。

しかし、IMGアカデミーの受講料は750万〜850万円と高い。幸い、日本のファンドが金を出してくれた。

そしてアメリカでの生活が始まる。しかし、やはり最初は言葉も通じずに苦労したようだ。そんな中でも、「世界一になりたい」ということだけははっきりと主張していた。アカデミーでは、勉強とテニスの練習を両立させていたようだ。だんだん筋肉が付き、体もできてきて、動くスピードが上がった。

その後錦織はジュニア・フレンチ・オープンで優勝。シニアの大会でも優勝し、17歳でプロになる。ランキングも順調に上がっていくのだが、絶えず悩まされるのがケガである。ヒザ、ひじ、下腹部・・・しかし、錦織はそのケガも乗り越える。

その後、特筆すべきはマイケル・チャンコーチとの出会い。チャンは錦織の、試合に臨む考え方を変えた。そして、ついにランキングベスト10の壁を破る。その後の活躍は皆さんご存じの通りである。

さらにレベルアップしていけば、あと何年かは活躍できるだろう。その間に、四大大会で優勝してもおかしくない。その日を楽しみにして応援したい。
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2013年10月16日

天佑なり

「天佑なり」                          幸田 真音
★★★★



高橋是清の物語。と言っても、私は高橋是清という人物をほとんど知らない。第二次世界大戦の前に大蔵大臣をしていたと聞いたことがあるだけだ。また、宮沢喜一元首相が「平成の高橋是清」と呼ばれたのを知っているぐらいである。昔の偉人の一人なのだろう、ぐらいに思っていた。

是清は、英語を学ぶために、13歳でアメリカに渡る。そこではいろいろあり、日本に戻ってきて、開成所で英語を教えるようになる。読んでいくと、是清は決して優等生タイプではないことが分かる。むしろ逆で、遊びすぎて勤めていた学校をやめなければならなかったくらいである。

また、この頃は16歳で一人前の大人と見なされていた。是清も16歳で英語学校を経営していた。昔は大人になるのが早かった。

是清は一時期、英語の翻訳をして生計を立てていたようだが、そのやり方は、今なら考えられないような方法だ。是清はなんと、口頭で英文を読み上げながら訳していき、それを助手に書き写させるというのである。私も翻訳者の端くれであるから分かるのだが、こんな方法で翻訳をするには、相当ハイレベルな英語力が必要とされる。今の一流の翻訳者でも同じ方法で翻訳はできないだろう。

さて、是清の人生はまさに波瀾万丈である。出世したかと思えば職を失い、食うにも困ったりする。しかし、そんな中でも自分の生き方を貫こうとする是清の態度が印象的である。やはり、才能のある人間は自然に世に出るようになっているのだろう。是清は、前例や既成概念にとらわれず、次々と改革を成し遂げていける、行動力のある人物だったようだ。そして是清はだんだん出世していき、日銀副総裁の時、まさに「天佑」と言える出来事を経験する。

当時の歴史も交えながら、非常に興味深く読める。井上馨、松方正義など歴史で習った偉人があちこちで登場するのも楽しめる要素となっている。後に是清は大臣になるのだが、印象的なのは、当時軍国主義に反対していたことだ。なかなかできないことだし、当時の情勢を考えれば、命の危険もある。しかし、是清は信念の人である。日本のために、これが正しいと思えば堂々と主張する。それが是清という男である。そして、是清は日本の恐慌をも救う。その手腕を知ると、今是清が財務大臣であったら…と考えずにはいられない。1000兆の借金を、是清ならどうするのか。アベノミクスは果たして是清のように日本を救えるのか。そんなことを考えさせられた本だった。

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2009年12月20日

京大芸人

「京大芸人」               菅 広文
★★★★




偏差値72。お笑い芸人ロザンの宇治原の高校入学時の偏差値である。頭のできが違うことがよく分かる。相方の菅は彼のことを「高性能勉強ロボ」と呼んだが、もっとふさわしい言葉がマンガ「ドラゴン桜」にあるのだ。「宇宙人」である。ドラゴン桜に出てくる宇宙人はハンパではない。高校は普通の高校だが、ものすごく成績が良く、東大理三確実。進学校にも行かず、家では家事もこなし、部活ではレギュラーとして活躍し、それでいて勉強がずば抜けてよくできる―それが宇宙人だ。もちろん架空の人物なのだが、取材に基づいているので、まんざら嘘ではない。私の知り合いにも同じような人物がいる。宇治原も高校ではバスケ部で、練習に打ち込んで3年にはエースになったらしいが、それでいてあまり部活に熱心ではなかった菅よりも勉強はよくできた。彼の宇宙人ぶりを示すエピソードと言える。
 
そして、宇治原は見事に現役で京大に合格する。そして今、クイズタレントとしてテレビで活躍している。この本を読む限り、芸人になる動機は菅の一言なので、彼は今の立場で満足しているのかもしれない。しかし、私から見ると残念である。クイズ番組などを見ていると、彼の頭のいいのがよく分かる。彼ほど頭が良ければ、医者でも弁護士でもなれただろう。それでなくても、本業のお笑い芸人として活躍し、持ち前の頭の良さを活かして成功しているなら私も文句は言わない。しかし、今の彼は学生時代の財産で生きているようなものだ。学生時代は勉強をしてテストでいい点を取る。今は番組のために勉強をしてクイズでいい成績を残す。そのふたつにどんな違いがあるというのか?彼の人生なのだからどんなふうに生きても他人が口出しすることではない。しかし、彼のような頭脳に恵まれなかった私から見ると、彼はせっかくの才能を浪費しているようにしか見えないのである。本業の漫才師として活躍することを祈りたい。

内容としては、すごく読みやすい本である。2時間もあれば読める。文章から、菅の相方に対する愛情が伝わってくる。京大受験の勉強方法についても書いてあるので、受験生には参考になるかもしれない。個人的には、頭の出来の違いを思い知らされるだけで、あまり参考や励みにはならなかったが。




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2007年05月20日

マオ 誰も知らなかった毛沢東

「マオ 誰も知らなかった毛沢東」      ユン・チアン    
★★★
       




現在の中国の共産主義体制を確立した毛沢東の真の姿に迫るノンフィクション。われわれ日本人が知っている毛沢東とはまったく異なった人物像が浮かび上がってくる。実際の彼は確固としたイデオロギーを持たず、カリスマ性もなく、自己中心的で、その上残酷である。

この本を読めば、どれだけ多くの人間の犠牲のうえに現在の共産主義中国が成り立っているかがよく分かる。彼は決して英雄ではない。毛はただの野心家であり、うまくチャンスをとらえ、その後は武力による弾圧(血の粛清)とライバルを蹴落とすことによって、最高指導者の地位を得たのである。

これまでは、毛沢東は中国の共産主義体制を作った英雄というイメージを持っていた。しかし、この本を読んで、そんなイメージは粉々に打ち砕かれた。

毛沢東の若いころ、旧ソ連でも中国でも大量虐殺が行われていたようである。そこには、自分たちの信念にそわない者を武力で鎮圧するという構図があり、それは現在のイラク戦争などと変わらない。民主主義と共産主義という違いはあるが、歴史は繰り返すという言葉が当てはまる。

毛沢東の国の支配形態は、紛れもなくファシズムである。彼は恐怖政治によって権力を維持していたのである。毛はその野望のために、何千万という人間を犠牲にしている。その点では、ヒトラー以上の独裁者と言える。

「共産党による統治はつねに殺人を続けていないと不可能だった」という記述から分かるように、共産主義はもともと人間社会の性質に合わない無理な政治形態だったのだろう。その後のソ連の崩壊、世界情勢の変化などを見ても、そのことがよく分かる。
posted by 三毛ネコ at 13:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 伝記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする